土曜日の午後。
九州から飛行機で羽田空港に付き、電車を乗り継いで神奈川県へ。
田園都市線の溝の口駅改札で仲介会社の営業マンと合流をする予定にしていた。

「こんにちは、ABC不動産株式会社の中野と言いますが、立花さんでいらっしゃいますか?」

「あ、はい、そうです。立花です。」

今日、物件を紹介して下さる一人目の営業マンを合流できた。ここでは2件物件を内見させてもらう予定だ。1件が最寄り駅が溝の口駅、もう1件が先日ふと目に止まった内装がカラフルなあの物件。最寄り駅は宮崎台だ。

1件目。溝の口にある物件は、可もなく不可もなく。サイトで見ていたより広さを感じる物件で、その点は良かったが、何か決め手に欠ける・・・。もう少し見てから、決めたいという感じだった。

暫くの間、自分たちで購入した一軒家に住んでいたよう子にとっては、人様の持ち物をお借りして住む賃貸の形に、どこか不自由さも感じていて、部屋をアレンジしてはいけない、壁に穴を空けてはいけないという賃貸特有のしばりが、どこか慣れずに違和感を感じているのかもしれない。

そんなことを思いながら向かった宮崎台にあるもう1件の物件。

「あの、ここのお部屋、キッチンがとてもカラフルなお部屋ですよね?個性的で素敵だなーと目に留まったお部屋なので、中を見るの楽しみです。」

「そうだったんですね!ここの大家さん面白いんですよ。カラーリングって言って、物件の内装をDIYして入居者さんに楽しんでもらおうってコンセプトで物件管理されてるんですよね。あ、ちなみに、今から行く物件の1階に住んでますよ。」

「え?そうなんですか。大家さんが近くにいるって、遠くから引っ越すオジサン・オバサンには安心ですね」

宮崎台のアパートの外観は、さっき内見した物件とさほど変わりはない。3階の部屋まで階段でないと行けないのは少しネックに感じたが、そのマイナスのイメージも部屋を見た瞬間、一気に吹き飛んでしまった。

「まぁ、素敵なお部屋!!」

よう子のテンションが一気に上がった。玄関を入ると、すぐそこにオシャレな絵が飾られていて、なんと壁の色はボールド。キッチン周りの壁は白と淡いブルー。1部屋1部屋にインテリアが施されていて、なんだか優雅でゆったりとした暮らしが出来そうなイメージが出来てしまったのだ。

「素敵ですね。この色の内装はそのままにしておいてもらえるんですか?」

「そうですね。内容はこのままでもOKですし、色を変えたいというのにもここの大家さんなら応えてくれますよ。」

「え?そうなんですか。内装を変えてもいいんですか?でも、この内装も素敵だから、このままでもいいわよね。」

よう子はまだこの部屋を契約したわけでもないのに、既に住んだ時の自分たちの生活を想像していた。

「大家さんに内装の変更が出来るか、連絡して聞いてみましょうか?」

「聞いて下さるんですか?ありがとうございます。良かったらお願いします。」

「もしもし、越水さんですか?今、3××号室の内見に伺わせていただいているんですが、この物件で内装カラーの変更って出来るんでしたっけ?あ・・・、はい、近くにいるんですか?・・・じゃあ、お待ちしてますね。立花さん、ここの大家さんの越水さん、すぐ近くにいるそうなので、今から来て下さるそうです。」

「わー、そうなんですね。お顔がわかっていると安心ですね」

45歳も近くなってから初めて都心へ引っ越しをするのは、若い人が意気揚々と引っ越しをするのよりも明らかにストレスがかかるもの。ずっと専業主婦をしてきたよう子も例外ではなく、仕事をしている夫は平日日中はもちろん家にはいないし、出張の月に一度はある。とすると、知らない土地に引っ越してくるのに、近くに知り合いがいるという環境は、何よりの安心材料と思ったのだった。

そんな感覚もあり、余程相性が合わない大家さんでなければ、この部屋に決めようとよう子は心に決めていた。

やっぱり女性はいくつになっても綺麗でオシャレなものが好きだし、物事の決定権は男性ではなく女性が握っているということが、この立花家の引っ越しのやり取りを見ていても明らかだ。

「こんにちはー!!」

「越水さん、お世話になっております。こちら、今日九州から内見に来られた立花ご夫妻です。立花さん、こちらが大家の越水さんです。」

「立花さん、はじめまして。引っ越し、九州から!転勤か何かですか?」

「そうなんです。夫が本社勤務になりまして。来月から渋谷に通うようになるんです。私たちずっと地方住まいだったので、初めての都心にドキドキしてまして・・・。でも、この宮崎台ですか?なんだか自然の多くて素敵なところですね。」

「そうですか。この物件の別の入居者さんにも、旦那さんの転勤で引っ越してきた方いらっしゃいますよ。宮崎台は、公園も多いので、都心のように人が多くてざわざわした感じが少ないかもしれませんね。その分、車がないと少し不便かもしれませんが、車は持ってこられる予定ですか?」

「はい、車がある生活に慣れているものですから、駐車場があるところで探しておりました。それにしても、このお部屋の内装素敵ですね。とっても気に入りました。」

「おー!嬉しいです!!僕が扱っている部屋はDIYしてもらって構いませんので、もし別の色に変えたい場合は、一緒にペンキ塗りお手伝いしますし、部屋の壁に何か貼ったり、画びょう刺してもらっても全然OKです。」

「そんなことしてしまって良いのですか?」

「はい、毎日過ごしていただく大事な空間なので、あれダメこれダメというのも窮屈じゃないですか?」

「わー、それは安心です。暫くの間、自分たちで購入した一軒家に住んでいたので、賃貸のしきたりというか見えないルールが、なかなか窮屈だなと思っていたんです。もちろん綺麗に使うつもりですが、大家さんがそう仰っていただけると安心できますね。」

「何かあったときも、僕1階に住んでいるので、連絡してきてください。」

「大家さんに直接連絡してもいいんですか。それもまた安心です。中野さん、ここのお部屋にしたいのですが、手続きをお願いしても良いかしら?あなた、ここのお部屋に決めていい?」

「うん、もちろん。よう子のほうが家にいる時間が長いからね。気に入ったならここにしよう。」

「えぇ、お部屋も素敵だし、大家さんの顔が見えるのも心強いし、嬉しいわ。あ、中野さん、こちらのお部屋、家賃が13万8,000円で、駐車場が1台5,400円でしたよね?」

「はい、立花さん、そうです。では、審査の上、ご契約進めさせていただきますね。」

「はい、是非。ありがとうございます。あなた、明日予定していた内見はお断りしなきゃね。」

「立花さん、内装は一旦このままで大丈夫ですか?」

「えぇ、このお色も素敵なので、このままでお願い致します。」

「もし途中で色を変えたいと思ったら、一緒にカラーリングしましょうね!」

「わー、それもいいんですか?楽しみですー。ありがとうございます。引っ越しが急に楽しみになってきました。越水さん、これからどうぞよろしくお願いします。」

どんな条件の部屋に住むのか?それは人によって違うだろう。

駅チカにこだわるのか、築浅物件にこだわるのか?部屋の広さにこだわるのか?

でも実は、人が一番物件探しで大事にしているものは、通常の物件探しのサイトにある条件では見つからないものなのかもしれない。

今回の立花夫妻だってそう。

一番心を動かされたのは、大家さんとの触れ合いだったのだ。それはサイト内の検索条件には含まれていなかった。

だからこそ、よう子は今回の自分の直感を褒めてあげようと思った。

これからの新しい生活を楽しみにしながら引っ越しの準備をして、この宮崎台の住人になれそうだ。