健二は片岡と飲んで帰ったあと、沙希に声をかけた。

「ねぇ、俺も考えたんだけどさ、沙希がいいって言うエリアに引っ越ししよう。子育てしてる友達が近くにいるのも、沙希も安心だろうし。場所も含めて任せるよ。俺、通勤時間1時間くらいだったら、頑張って通うから。」

伝えることに精一杯で顔は見れなかった。

もしかすると顔が赤くなっていたかもしれないけれど、それは突っ込まれたらアルコールのせいということにしておこう。

どんな答えが沙希から返ってくるのかと思ったら、沙希はストレートに思いを伝えてくれた。

「えー、どうしたの、急に。今まであんなに乗り気じゃなかったのに。健ちゃんもこの子のこと考えてくれるようになったのかなー。嬉しいー。」

沙希が嬉しそうに、お腹をさすりながら我が子に話しかけていた。

こうやって男は父親になる覚悟を決めていくのかもしれない。

健二が何かを決めた瞬間だった。


半年後の週末。

健二は今日、会社のチームメンバーをホームパーティーに招待をする予定にしていた。

新たな住まいに選んだエリアは「武蔵新城」。個人商店が多く立ち並ぶ下町風情が残る街である。

最初は、武蔵小杉か溝の口のエリアで住まいを探していたが、武蔵小杉は家賃相場が少し高め、また溝の口は車を持たない健二と沙希にとって坂が多い道がネックになった。じゃあ少しエリアを広げようと見つけた場所が「武蔵新城」だったのだ。

いまのマンションとの出会いは、もう「偶然」としか言いようがない。


決め手は、カウンターキッチンと、ホームシアターができそうな大きな壁。そして何より健二の心を惹きつけたのは、キッチン横にあるホワイトボードだった。

どうやらオーナーさんが物件にこだわっていて、1部屋1部屋、デザインが違うマンションらしい。

健二はこの部屋の内見でホワイトボードを見たときに「ここで会議がしたい!」と思った。会社のメンバーとお酒を飲みながら暑苦しく、これからの会社のことを考えて、夜な夜な会議をする。そういう場所が欲しかったのだ。

都心から離れることは何かを諦めることだと思っていたけれど、案外執着を手放したほうが、自分の欲しいものが手に入るのかもしれない。

我が子は生後3ヶ月。

小さな子供がいるので、夜な夜な会議はできないけれど、今日は部下の昇進祝いも兼ねてのホームパーティー。

集まったメンバーでこれからの目標宣言をして、また半年後に目標達成のお祝いをまたこの場所でやろう。

そう健二は心に決めたのだった。

Fin