横浜:みなとみらい。

観光地、デートスポットとして有名なこのエリアは、実はオフィス街でもあり、数多くの企業がオフィスを構えている。そのため、平日のみなとみらいは意外な程に会社員で溢れている。

みなとみらいで働くことに憧れを抱く女性も少なくない。

山内あかりもその一人だ。

長野県出身の31歳。独身、現在は南武線沿線の武蔵新城にあるマンションに一人暮らしをしている。

都会に憧れて、大学入学を機に上京。都内の私立大学で4年間を過ごし、そのまま「まだ東京に居たい」と思い、東京にある不動産会社に就職をした。

不動産投資の物件をメインで扱っていた不動産会社で、あかりが就いた仕事は「営業職」。未だにプッシュ型の営業の流れが残っている会社で、新卒のあかりの毎日の仕事は、リストと呼ばれる電話番号が羅列された紙を持って、順番にセールスの電話をかけることと、道端に立って道行く人にアンケートと称して声をかけ、会社員の人から名刺をもらう仕事だった。

きつい仕事ではあったけれど、社会人で初めて就いた仕事がこの仕事だったあかりにとっては、他の仕事と比べることもできず、

「皆んな、こんな風に頑張って仕事をして、毎月のお給料をいただいているんだな」

そう思って、営業の仕事をこなしていた。

残業が多く、今思うと「ブラック企業」とも揶揄されるような就業形態の会社だったけれど、基本給は高く、1件成約するたびに臨時ボーナスも支給されるので、あかりはその会社に特に不満を抱くこともなく働いていた。

それから7年。

長年の仕事漬けの日々がたたったのか、あかりは身体を壊した。

月に2~3日しか休みを取らず、食事はレトルトとお弁当ばかり。昔はよく飲み会や遊びに誘ってくれた友人たちも、いつも仕事を理由に誘いを断るあかりを前に、徐々に誘わなくなるようになり、気づけばあかりは東京で親しい友人もおらず、一人ぼっちになっていた。

今まで頑張ってきた糸がぷつりと切れた。

そして、あかりは会社を辞め、転職と、そして引っ越しをすることにしたのだった。

「どこに引っ越そうか?」

「どこでどんな仕事しようか?」

そう考えた時に、浮かんできた場所が「みなとみらい」だった。

海がない長野県で生まれ育ったあかりにとって、海がある港町、そして都会的な雰囲気のあるみなとみらいは憧れの場所だった。

「そうだ、みなとみらいで仕事を見つけよう!」

長く営業でバリバリ働いてきたので、のんびりと残業の少ない仕事がしたいと思い、派遣会社に登録。職歴が綺麗で、人当たりの良いあかりはすぐに次の職場が決まった。

営業アシスタント、9時~17時半勤務、残業は月10時間程度、時給1,500円、交通費自己負担。

これが、あかりの次の仕事の条件だった。

「手取りが少なくなるから、家賃抑えた場所に引っ越ししないと。」

今までは手取りで40万円ほど貰っていた生活から、22万円ほどに減ることになる。更には交通費も自己負担。家賃を手取りの1/3程度に収めようと思うと、あかりに許された家賃の許容範囲は6万円とちょっと。